父の「思い出話」あれこれ 第1話
とうとうがん患者の横綱級になったので、
早く書きたいことをかいておこうとおもったのですが、
ふっと書きたいことは何かというと父の話でした。
私って“普通”じゃないの?
昨日のライターさんもそうだったが、
「どうしてそんなふうに感じ、すぐに行動するのですか?」とか
「なぜ、そういうことに興味を持つのですか?」と取材でよく聞かれる。
どうも、私ってどこか普通じゃないらしい。
でも、どこがどうズレているのか自分ではわからず、
あたりまえのことをしてきたつもりなので、
なんと答えたらいいのかわからなくなることがある。
でも、私の中の「あたりまえ」は、父の影響を
ずいぶん受けているような気がするので、
今日は父の思い出話を書くことにしよう。
倒れるその日まで父は菓子職人
父は近所の人たちから「大将」と呼ばれていた。
小さなお菓子屋「つちや甘楽堂」の大将。
大将は、いつも白衣を着て、帽子をななめにかぶり、
ニコニコしながら鼻歌を歌い、毎日お菓子を作っていた。
一昨年の夏、72歳でクモ膜下出血で倒れるその日まで、
ひたすら働き続けた菓子職人だった。
子どもの頃、私が小学校から「ただいま~」と帰ると、
「はい、おかえり~」と父は仕事場で、母は店で迎えてくれた。
『男はつらいよ』の柴又の団子屋みたいな雰囲気だ。
大きな鍋で、ドーナツをあげている父の後ろ姿が目に浮かぶ。
あつあつのドーナツを一つお箸でつまんで
「ほら、たべてみらんかえ」と紙に包んで、手のひらにのせてくれた。
歌が好きで、お菓子を作りながら、
三波春夫の『大利根無情』や『チャンチキおけさ』などを、
毎日毎日歌っていた。
ダジャレと鼻歌が趣味の父は、一日中冗談を言っては、
お客さんを笑わせるのが好きだった。
先日、近所の文房具屋さんへ買い物に行ったら、
店のご主人がこんなことを言っていた。
「あんたのお父さんがおらんごとなったもんで、
今年の商工会の旅行は寂しかったで。
お父さんは、場を盛り上げる千両役者じゃったきなあ。」
千両役者か…父にピッタリの言葉で、うれしかった。
つづく!
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