父の「思い出話」あれこれ 第1話

2008年07月08日

とうとうがん患者の横綱級になったので、

 

早く書きたいことをかいておこうとおもったのですが、

 

ふっと書きたいことは何かというと父の話でした。


 

私って“普通”じゃないの?

 

昨日のライターさんもそうだったが、

 

「どうしてそんなふうに感じ、すぐに行動するのですか?」とか

 

「なぜ、そういうことに興味を持つのですか?」と取材でよく聞かれる。

 

 

どうも、私ってどこか普通じゃないらしい。

 

でも、どこがどうズレているのか自分ではわからず、

 

あたりまえのことをしてきたつもりなので、

 

なんと答えたらいいのかわからなくなることがある。

 

 

 


でも、私の中の「あたりまえ」は、父の影響を

 

ずいぶん受けているような気がするので、

 

今日は父の思い出話を書くことにしよう。

 

 

 

 

 

 

倒れるその日まで父は菓子職人

 

 

 

父は近所の人たちから「大将」と呼ばれていた。

 

小さなお菓子屋「つちや甘楽堂」の大将。

 

大将は、いつも白衣を着て、帽子をななめにかぶり、

 

ニコニコしながら鼻歌を歌い、毎日お菓子を作っていた。

 

 

一昨年の夏、72歳でクモ膜下出血で倒れるその日まで、

 

ひたすら働き続けた菓子職人だった。

 


 
子どもの頃、私が小学校から「ただいま~」と帰ると、

 

「はい、おかえり~」と父は仕事場で、母は店で迎えてくれた。

 

『男はつらいよ』の柴又の団子屋みたいな雰囲気だ。

 

大きな鍋で、ドーナツをあげている父の後ろ姿が目に浮かぶ。

 

あつあつのドーナツを一つお箸でつまんで

 

「ほら、たべてみらんかえ」と紙に包んで、手のひらにのせてくれた。

 


歌が好きで、お菓子を作りながら、

 

三波春夫の『大利根無情』や『チャンチキおけさ』などを、

 

毎日毎日歌っていた。

 

 

ダジャレと鼻歌が趣味の父は、一日中冗談を言っては、

 

お客さんを笑わせるのが好きだった。

 

 


先日、近所の文房具屋さんへ買い物に行ったら、

 

店のご主人がこんなことを言っていた。

 


「あんたのお父さんがおらんごとなったもんで、

 

今年の商工会の旅行は寂しかったで。

 

お父さんは、場を盛り上げる千両役者じゃったきなあ。」

 

 


千両役者か…父にピッタリの言葉で、うれしかった。

 

 

 

つづく!